|
|||||
サラブレッドと日本人 日本列島において馬飼養の歴史が始まったのは4世紀末、すなわち今から1600年ほど前からと考えられている。古代遺跡を調べていくと、当時の遺跡から急に馬具など、馬にまつわる遺物が出土するようになるのである。おそらくその頃、初めて馬が馬文化とともに渡来人によって日本列島にもたらされたものと考えられている。以後、馬は日本社会にしっかりと定着する。各地に牧(まき)とよばれる馬の生産育成施設がつくられ、馬産がさかんにおこなわれるようになった。そして牧で生産された馬たちは、もっぱら戦の際の兵器として活用されていった。 しかし、日本人による馬飼養の歴史がそれほど長かったにもかかわらず、明治期に来日した欧米人は日本で飼われている馬を見て、まるで猛獣のようであり、「もの凄いやくざ馬(ベルツの日記)」と記している。日本人には、長い歴史の中で洗練された馬飼養技術をあみ出す能力が欠けていたのだろうか。 サラブレッドは、もっぱら競争能力を選抜の対象として、17世紀後半から英国で育種改良が開始された。そのサラブレッドが日本に初めて輸入されたのは、明治10年のことだった。このときサラブレッドは、トロッター種の馬とともに米国から輸入され、下総御料牧場に繋養された。また明治40年、小岩井牧場にイギリスからサラブレッド繁殖牝馬20頭が輸入され、日本におけるサラブレッドの本格的な生産が開始された。以後、サラブレッドによる競馬は、戦争による中断をはさんで連綿とつづけられてきている。 しかし昭和56年、日本で初めての外国馬を招待して開催されたジャパンカップ競走で、関係者の間で話題になったことの一つとして、外国馬のおとなしさということがあげられる。外国のサラブレッドはなんておとなしいんだろう、それにひきかえ日本のサラブレッドはなんと落ち着きがないのか、ということである。日本人による馬の馴致技術の貧弱さを、あらためて認識する場ともなった。 本シンポジウムでは、おもに日本の競走馬を対象に調査解析したデータをもとに日本人と馬、我々の飼養技術、人との絆とパフォーマンスなどについて、種々の角度から考えていきたい。 |
|
2003 HARs 学術大会 |