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宇和島地方における闘牛 近年の日本では,多くの伝統的行事が後継者不足のため風前の灯となっている.そのような中で闘牛は現在まで宇和島地方で継続して行われてきた.なぜ,どのようにして闘牛は存続してきたのであろうか?従来の伝統的行事に関する研究では,その要因として観光化に焦点が当てられてきた.しかし,これらの研究では,担い手1人1人がどのように行事に関わっているのかが明らかにされていない.そこで本研究では,闘牛の担い手である「牛主」,「勢子」,「ヒイキ」の活動に注目し,いかに闘牛が維持されているのか,その要因を分析した.結果として,以下に示すように時代を追って3つの主要な要因が判明した. まず1つ目に,闘牛は18世紀から20世紀の後半にかけて農耕牛を使役してきた人々の娯楽であった.農民は耕作のために強い牛を育て上げようと牛同士を闘わせた.これが闘牛の発祥である.しかし農業の機械化によって,闘牛は消滅してしまった. 2つ目に,闘牛は観光資源として復活した.そして牛主で構成される運営組織が闘牛大会を開催するようになった.彼らは観光客に見ごたえのある闘牛大会を披露するために,多くの牛主の確保を求め,その勢力圏をめぐって争った.激しい争いの末,宇和島市と南宇和郡における2つの運営組織のみが生き残った. 前者は闘牛を大々的に宣伝し,観光化に比較的成功したと言える.しかし,彼らは都市化により牛の不足に悩むことになった.後者は全国的な知名度を得ることはできなかったが,地元に密着した闘牛として定評がある.近年,2つの組織が生き残りを賭けて牛の交換をし,協力していることは注目すべきである. 3番目に,闘牛を通して培われる人間関係は重要な役割を果たしている.勢子は命がけで牛を勝利へ導き,牛主を応援する.勢子の良し悪しによって勝敗が分かれるとも言われているため,牛主と勢子との間には強い信頼関係がなければならない.両者は日常生活での付き合いを通して家族同然の親密な関係になっていく.また,「ヒイキ」と呼ばれる後援会が牛主をサポートする.具体的にはヒイキから牛主へ勝利を祈って渡される「花」と,対戦の後に牛主がヒイキを招いて行う「慰労会」がある.慰労会は担い手たちが交流する場となっている.それは排他的な集まりではなく,複数の慰労会をかけもちする人物によって会同士の積極的な交流が生まれている.担い手たちは闘牛を通して勝負だけでなく,その人間関係をも楽しんでいる.このような環境が闘牛の新しい担い手を生み出していくのである. 最後に,3つの要因に大きな影響を与えているのが,闘牛に関わる「賭け」の要素である.牛の勝敗に金銭を賭けるだけが闘牛の「賭け」ではない.例えば,牛主であること自体が大きな賭けである.高額を支払って強い牛を手に入れたとしても,その牛が負ければ値段は急降下し,負け続ければ肉牛以下の値段になってしまうからである.また,牛の闘いぶりによって慰労会の参加人数は大幅に変動する.華々しく勝ったときには,大勢が詰めかけ,これがヒイキの増えるきっかけの一つになる.牛を勝たせたい人間と,必ずしもその通りには闘わない牛.この両者の不安定な関係が「賭け」の要素を作り,人々にとっての娯楽とってきたのである. |
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2003 HARs 学術大会 |