3.21 一般口演 I

フィリピン、カオハガン島におけるヒトとイヌの関係

宮村 春菜

三重大学大学院人文社会科学研究科・三重県


 

現在の日本において、人と犬の関係は、犬をコンパニオンアニマルとしてみなすことが一般的である。しかし世界における人と犬の関わり方は多様であり、地域によってさまざまな関係が成立している。特に、犬をコンパニオンアニマル以外の関係で捉えた報告は、一部の使役犬との関係を除いては少なく、その実態は未だ詳しく明らかにされていない。さらに、地域によっては1つのカテゴリーに限定されずに多岐にわたる人と犬の関係も存在しうると考えられる。そこで、筆者はフィリピン、カオハガン島での事例をとりあげ、その関係を明らかにすることにより、人と犬の関係についてその多様性を解明する足がかりとしたい。
カオハガン島はセブ島の南東約15q、オランゴ環礁の中に位置する面積約50,000uの島で、2002年8月現在で92世帯が生活している。調査は2002年8月に行なった。まず、悉皆調査を行ない、犬所有状況および犬頭数を把握した。さらに、犬所有者に犬の飼育に関する聞き取り調査を行ない、そこから明らかとなったかかわりについて島民に聞き取り調査および直接観察調査を行なった。
 島内では14軒で合計21匹の犬が飼育されていた。犬はふだん、番犬を目的として飼育されているが、日中は摂食時以外、家にいないことも多くその役目が常に厳密に守られているのではない。また、島内の犬はすべて所有者が明確となっており、つながれて飼育されていないため島内を自由に動き回ることができる。調査期間中には、犬がその所有者以外の家の敷地で過ごしている光景や、近所の子供たちと通りや広場に出された縁台で過ごしている光景もしばしば見受けられた。このように島内で飼育されている犬は所有者がいるものの、飼い主−飼い犬間の個人的なつながりは必ずしも常に密接なものではない。その一方、犬は飼い主以外の島内の人々や、飼い主の敷地以外の土地と臨機応変に関わることができるため、自らの自由意志で日常生活を送ることができる。ここに番犬としての犬を縛る規範のゆるさを見出すことができる。
しかしながら、島内で犬が人を噛んだ場合、上記の関係は解消されることとなる。島では、人を噛んだ犬は島内で生活することが認められないというおきてが存在する。島民は、人を噛む犬の存在を、狂犬病を媒介する可能性のあるものおよび島の秩序を乱すものと捉えられている。こうした犬は、島内では食用となり、慶事のご馳走として供されることとなる。ここに人を噛んだ犬に対する絶対的な規範の強さがうかがえる。
 以上に示したような状況に応じた規範のゆるさと強さのバランスにより、島民は、空間の限られた島で人と犬が共存する方法を作り上げ、その結果、島での秩序が守られていると考えることができる。
また、犬が人を噛んだ場合、医療費を支払わねばならない飼い主や、噛まれた人間といったその犬に関わる当事者どうしにとっては、責任や命に関わる大問題として捉えられるが、人を噛んだ犬を譲り受ける側としては、親戚・知り合いを集めて、普段は食べることのないご馳走を食べることができる楽しみの機会として捉えられている。このように、犬が番犬から食用に転換される過程には、飼い主の責任問題、噛まれた側の生命の問題といった不安要素とともに、ご馳走を食べる機会という楽しみの要素といった、相反する感情が成立していることが明らかとなった。
人と犬の関係を理解するためには、その多様さゆえに、一元的な倫理的、道徳的観点から捉え批評しあうのではなく、まずそれぞれの関係を知り、相互に受け入れることが必要であり、そうすることによってそれぞれの新たなよりよい関係への糸口が見出せるのではないかと考える。今後のさらなる関係の解明には、さまざまな地域での事例の蓄積とともに、人間側の都合だけでなく犬側の習性も考慮に入れた研究を進めることが必要であると思われる。
また、今回の調査を踏まえ、今後の島民の生活様式の変化とともに人と犬の関係がどのように変化していくか追跡していくことも望まれる。

 

2003 HARs 学術大会
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