3.26 シンポジウム第2部 「獣害か人害か−猪鹿猿とヒトとの共生−」

平野部から森林に追い上げられたニホンジカ問題

古林賢恒

東京農工大学大学院 助教授


 モンス−ン気候下にある日本列島の自然は森林である。森林で種を存続できる野生動物は小型で集団化せず縄張りをもち、栄養価の高い食物を選択的に利用してきた。日本列島ではニホンツキノワグマとニホンカモシカがその代表である。
ところで食糧を生産するにあたり人間の関心はもっぱら土に向けられた。作物を土で育てる農業の場を森林に向けた場合には、まず自然の植生を切り開く必要があった。火を放つ焼畑は、森林の自己施肥機能を利用する知恵だった。
 植物を食べた動物はつぎの動物の食物となる。排泄物として体外に出たものは食物連鎖によりつぎの動物の食物になり、最後に残った無機養分は植物に吸収され一巡する。植物が作り上げた有機物は徹底して利用されている。このような養分循環の典型は、ヨ−ロッパの輪作農業や遊牧に見ることができる。
 国土の70%が山で占められ急峻地が多いこと、温暖多雨であること、この地形上・気候上の条件から日本列島では水田農業が営まれるようになった。日本列島では草の再生が容易で分解が速いために冷涼寡雨なヨ−ロッパと違って家畜の体内を通過させずに山林原野などあらゆる場所から草を刈り取り、火山灰起源の土壌に運搬・施与する刈敷農法で地力を支えた。水田農業は収量の高いイネの連作を可能にし、日本の人口密度は高くなっていった。
人口の増加は、土地生産力を高める技術の向上や自然を改造する規模の拡大が支えとなった。条里制・近世の大土木事業と呼ばれる国土の大改造は、洪積台地・沖積層平野を中心に行われた。自然を攪乱し食糧を持続的に獲得する場は、生態学の視点から見ると二次遷移の初期段階の性質を持つ。集団で生活する草食獣にとって格好の餌場となり、近世初期のニホンジカの分布域のコア−であった。明治初頭4000万人であった人口が100年余の間に1億2000万人に増加した。国土の24%を占める洪積台地・沖積層平野に8400万人が定着する過程で、ニホンジカはいつしか森林地帯に追い上げられていった。それを加速したのは、山麓部における薪炭・木材生産としての森林利用であった。
大食漢の反芻動物を飼養する遊牧の知恵は国土の狭い列島では生かすことが出来なかった。森林地帯に閉じこめられたニホンジカは、森林植生を変え、種や生態系レベルでの生物多様性の低下をもたらしている。
1992年ブラジルのリオデジャネイロにおける地球サミット(環境と開発に関する国連会議)で、生物多様性の保全が温暖化とならぶ重要な地球環境問題であるという認識ができた。生物多様性はわれわれの生活に様々な利益を与えている。ニホンジカとのつき合い方を早急に考えなければならない。

 

略歴
古林賢恒(ふるばやしけんごう)
東京農工大学大学院共生科学技術研究部助教授。「丹沢山地のニホンジカの保護に関する研究」で
学位を取得する。野生生物保護学会誌編集委員長。NPO法人ライチョウ保護研究会副理事。
静岡県、山梨県のニホンジカ検討委員会、富山県のツキノワグマ検討委員会の委員。
日本各地において大型獣のツキノワグマ・ニホンジカ・ニホンカモシカの農林業被害の実体把握、
餌資源についての調査研究をはじめ、GPSを装着しての行動生態調査を35年間つづけている。
2006 HARs 12th. 学術大会
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