ベトナム・メコンデルタにおける水牛頭数の減少
山崎 正史
(国際農林水産業研究センター)
Nguyen Van Thu
(ベトナムカントー大学)
ベトナム社会主義共和国(ベトナム)では、ハノイを中心とした紅河デルタ、ホーチミンから西に広がるメコンデルタ、及び国土東端の長い沿岸地域に平野部があり、国土の約80%にあたるその他の地域は、山岳・高原・丘陵地帯に属している。ベトナムはタイに次ぐ世界第2位の米輸出国であり、その生産量の約5割がメコンデルタで生産されているほど、この地域は国内有数の稲作地帯である。一方で、畜産業も農家の現金収入源として重要であり、おもに、水牛、ウシ、ブタ、ニワトリ、アヒルが飼養、飼育されており、このうち水牛は伝統的に使役・牽引用役畜として利用されてきた。しかし水牛の頭数は、最近の約10年間に世界及びベトナム全国ではほとんど変化していないにも関わらず、この地域では半減している。
メコンデルタにおける水牛頭数の急激な減少は、1980年代後半から行われたドイモイ政策の効果が波及した結果であると考えられ、具体的には次の5点が挙げられる。(1)世帯当りの耕地面積が約1
haで国内の他地域と比べて広く、地形も平坦なために、トラクター等農業機械を導入しやすかった。(2)市場経済が浸透する中で、農民が現金を必要とする機会が多くなり、かつ、水牛の売却により多額の収入が得られた。(3)農民は、農業機械の導入が労働の軽減と増収益に結びつくと考える傾向がある。(4)国民所得が向上し、食肉消費量は年々増加する中、水牛肉の需要量が地域内で高まり生産量を上回っている。そして、もっとも重要な要因は、(5)灌漑・排水整備による水田の年間作付回数が増加と湖沼等未利用地の開拓によって、水牛の放牧地並びに飼料基盤が急速に縮小したことである。
メコンデルタは、水文環境からは年間を通じての天水・河川水地域、塩水地域及び両者の中間地域に、地文環境からは沖積土壌、硫酸酸性土壌及び塩性土壌とに分けられる。沖積土壌地域は天水・河川水地域と、塩性土壌地域は塩水地域と凡そ重なっており、その中間地帯に硫酸酸性土壌が広がっている。さらに、メコンデルタの約半分の地域は、雨季後半の9−11月に洪水に見舞われ、洪水域は天水・河川水地域、沖積土壌地域を中心に、硫酸酸性地域をも含んでいる。稲作に適しているのは、沖積土壌地域、天水・河川水地域である。ここでは近年まで一期作が行われ、雨季の始めに起耕、苗を移植、洪水を前に収穫が行われた。そして、稲作作業の折々には水牛が用いられ、刈取後の水田は約半年間、水牛の放牧地として利用された。また、稲作の不適地は水牛の放牧に適しており、メコンデルタ全域で水牛が放牧されていた。しかし、最近の10年余りの間に、灌漑排水の整備により硫酸酸性、塩性土壌地域は稲作に適したものとなって稲作面積は急激に拡大した。多くの水田では2−3期作が行われるようになり、米生産量は飛躍的に増加した。これらの変化が、一方では水牛の放牧地と飼料基盤の急激な減少をもたらし、水牛頭数が減少し続ける最近の傾向を、実質的に牽引してきたものと考えられる。
水牛頭数の減少は、総じて、稲作を中心とした農業の多面的発展による結果であった。一方で、各種の問題も孕んでいる。例えば、水牛の売却と農業機械の購入が必ずしも農家経営に益していないことである。例えば、トラクターを使用し続けるには維持費が掛かり、またその購入費は、世帯当り3−4
ha以上の水田面積がなければ償還できないと言われる。一方で、水牛所有を続けている農家では、役畜の需要が多いために大きな収益を上げ、周囲の水牛頭数が減少したために飼料にも充足している。農家経営の安定化に資し、今後も増加し続けるであろう食肉需要を賄うためには、水牛の所有、飼養の利点に関わる現状を農家へ知らせるとともに、稲藁などの現地に豊富にある農業副産物を活用した効果的な飼養管理法の開発が求められている。
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