隠岐の闘牛−担い手の社会関係に着目して−
The Bullfight in Oki Island, West Japan
−With Special Attention to Social Relationship of Actors−
石川 菜央
(名古屋大学環境学研究科・愛知県)
1.はじめに
人が社会関係を作る目的には,食べ物を得る,身を守るなど生きるための戦略の側面と,語り合う,顔を合わせることでほっとするなどの精神的な側面の2つがある.現代の日本では,生産と社会関係が切り離され「人間関係が希薄になった」という指摘がされることがある.しかし精神的なつながりを求めることが,人間の普遍的な行動だとすれば,別のものを拠り所にして社会関係ができるのではないだろうか.本研究では,その拠り所として闘牛を取り上げる.ギアーツ(1987)の「動物を通して人が闘っている」という指摘を援用しつつ,人々の地縁,血縁に加え,闘牛があることによって行動を起こす人々が作り上げる社会関係を明らかにする.
2.牛主の活動と相互の関係
闘牛の中心的な担い手である牛主は,自分の闘牛に対し,他人の牛とは全く別個のものという強い思い入れを持っている.牛の世話をして過ごした日々の積み重ねにより牛の個性(根性,闘い方,体型)はより強く認識されるようになる.牛主たちは,お互いが自分の牛への思い入れを持っていることを知っており,これが闘牛の飼育過程における交流を通して親密度が高まる基盤となっている.彼らの牛を媒介とした交流を「牛縁」と呼ぶ.
牛縁の契機となる顕著な事例として,「しょうま」と呼ばれる闘牛の売買を挙げることができる.しょうまで重視されるのは買い手がいかに牛の個性を強く認識しているかである.他の人の牛ではなく「あなたがこのように育てた牛が欲しい」という買い手と,牛を売るに足る相手であるかどうかを判断する売り手の駆け引きが行われる.島後内で行われたしょうまは同集落や同町村内に収まらず,他町村にまで及んでいる.以前は言葉を交わすこともほとんどなかった牛主同士が,しょうまの後,親戚以上の付き合いをしていることが分かった.居住地の近接性ではなく,牛が持つ性質やそれについての思い入れの重視が血縁や地縁を超越した新たな社会関係を作っていると言える.
3.闘牛大会の成立過程
闘牛飼育の非経験者は,特定の牛に強い思い入れを持っているわけではないので,牛主と全く同じ水準で闘いを見ることはできない.しかし隠岐には,牛縁を地縁に転化する独特の仕組みがあるからである.牛を「〜の集落〜家の牛」というように家の代表とすることによってその勝負を地縁と結び付け,牛の個性とは別の方法で盛り上がりを生み出している.出場を祝い,牛主に贈られる祝儀の贈り主は,牛主と同集落の居住者が最も多い.闘牛大会で表れる地域対抗は,大会に関与することを選んだ住民の間の地縁であると言える.牛主とは別の立場から闘牛に関与をすることによってできる関係を「闘牛縁」と呼ぶことにする.
4.闘牛が生成する人間関係
10年ほど前から,町村ごとに存在する運営組織とは別の枠組みで,闘牛の飼育や大会に関する活動を共有するグループができ始めている.グループには,@地縁の結束力を利用したもの,A共通の目的から結成されたものの2種類がある.闘牛と人々との関わりは,牛の個性をいかに理解しているかという「牛主度」,闘牛大会にどの程度関与しているかという「闘牛度」の2つの尺度で位置付けることができる.2つの尺度が似ていることを求心力として,グループの構成員が集まっていることが分かった.
同様のことは,隠岐から闘牛を買っている宇和島の牛主との関係に拡大してもあてはまる.闘牛のためにできたグループ間の交流は,居住地間の距離に比例せず,牛主度と闘牛度という担い手の主体的な価値観と行動によって決まるのである。
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