ヒトと動物の関係学会(HARs)

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月例会報告

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第71回 ヒトと動物の関係学会 月例会
『なぜ動物倫理の話はかみあわないのか 
英米倫理学の観点から見る動物福祉と動物解放論』
日時: 2009年5月30日(土) 14: 00-17:00
会場: 東京大学農学部4号館104室

講師:
伊勢田哲治(京都大学文学研究科 准教授)

 今回の月例会は京都大学文学研究科の伊勢田先生にお話しいただいた。
  欧米で大きな影響を持っている動物の権利運動や、実践されている動物福祉。これらの背景には『動物解放論』がある。『英米倫理学』の観点からみると動物が権利を持つことは当たり前なのだが、日本人からしてみると不可解な点があり真面目に受け取られないという。例を挙げるなら、国際的な動物の権利運動の団体について取り上げられる際、日本では目を引くパフォーマンスの部分や面白いニュースとして取り上げられてしまい通常の活動に注目がいかない。つまり一種のジョーク的に捉えられてしまっている。
 『英米倫理学』とは「規範倫理学」「メタ倫理学」「応用倫理学」の3つの分野から構成される、言語や概念を分析し、できるだけ明晰に議論を行なうという特徴を持つ。
「規範倫理学」は道徳的なルールの1番基本となるルールを探っていくものである。例えば「なぜ、嘘をついたらいけないのか」これに対しての1番根底にある根拠を探っていく。この答えとして3つの答えが浮かぶ。1.嘘をついていいとなるとみんなが幸せにならない。2.相手をないがしろにしている。3.ろくな人間じゃないから。1.は結果に基づくもの(帰結主義)。2.は内容に基づくもの(義務主義)。3.はその人の性格や背景に基づくもの(徳倫理学)である。この3つの立場は1つの行為の流れのそれぞれの部分に着目しているものであり、つまりは1つのことに対して3つの切り口があるのである。「規範倫理学」の思考プロセスは、ごちゃごちゃした中身を論争によって明らかにしていくものである。
 「メタ倫理学」は他の倫理学で中心となるものはほとんどなく『英米倫理学』を特徴付けるものであり、ヒュームの法則や指令性、普遍化可能性などの主張がある。ヒュームの法則は「〜である」から「〜すべきである」は導けないというもの。「〜である」という真実からは直接導けない前提があるために「〜すべきである」は導くことができないというものである。指令性を表す「べき」という言葉は強い拘束力を持つ。例えば「ゴミをポイ捨てするべきではない」と言いながらそれを実際に実践していない人は「べき」の意味をわかっていないことになる。普遍化可能性は『英米倫理学』を特徴付ける考え方の一つで、自分の判断に対してあらゆる意味合いで責任が生じる。つまり、自分より能力の低い人に対して何をしてもいいと思っている人がいたとしたら、その人より能力の高い人に何をされても仕方がなく、何かされて文句は言えないということである。
 こう倫理学を見てくると『動物解放論』は「規範倫理学」の特定の立場と結びついているわけではなく、様々な立場がそれぞれ影響している。『動物解放論』には様々な反論がある。しかしこの反論に対して『英米倫理学』の観点からみると反論できなくなってしまう。例えば、「動物だけでなく植物にも配慮するべきなのでは」という反論に対して、危害原理を根拠にするなら配慮の対処は「危害」を被る能力があるものまでとなり、快楽や苦痛を意識する能力が植物にあると考える根拠はない。幸福を根拠にすると、動物と植物は同列に扱えない。「動物も大事だが、人間に対する権利侵害のほうが緊急なのでは」という反論に対して、どちらも重大な問題ならどちらも取り組めばいい。しかし、奪われる命の数で言えば動物のほうがはるかに多く命に関わっている。それでも人間のほうが重大で緊急というならば、動物の命より人間の命のほうが価値があるという根拠を示す必要がある。
 こう言われてしまうと何も言えなくなってしまう。しかし、この『動物解放論』の考えに日本人に違和感を感じているとしたら、どこに感じているのか。そもそも日本には絶対的な権利や義務が存在しないから、動物の権利も認める必要がないのか。けれど、その考えでは人の人権も認められなくなってしまう。戦後の日本はアメリカで議論され出た結果だけを自分たちで議論することなく社会に取り入れてきた。英米では基本原理に立ち返ることで規範の修正は行なわれてきたが、結果だけを受け入れてきた日本は、その受け入れてきたものを否定してしまえば、動物に対して考え直す必要はなくなる。また、人間と動物に対しての判断をなぜ同じようにしなくてはならないかと言ってしまうと、『動物解放論』を相手にしなくてよくなる。しかし、これは合理的な思考と結びついているため、否定してしまうと日本人は合理的に話ができない人だとされてしまう。欧米流の民主主義社会である日本は影響を避けられないだろう。
 今回の講演は私にとって非常に難しくなかなか理解できなかった。報告書を書きながらもわかりきっていない箇所がある。今回強く感じたのはただ、取り入れるのではダメなのだということ。英米はきちんと議論がされているから『動物解放論』かしっかりとした形を持っている。しかし、ただ取り入れただけではなんの意味もなさない。日本と英米では文化や動物との関係が違う。それなら日本流の『動物解放論』を議論して組み立てなおさなければならないのでないか。ただ取り入れただけだから違和感があり、どこか面白扱いなのではないかと感じた。

(帝京科学大学大学院 アニマルサイエンス専攻 1年 藤田典子)



 
     
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