ヒトと動物の関係学会(HARs)

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月例会報告

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第70回 ヒトと動物の関係学会 月例会
『「ニホンカワウソ 絶滅に学ぶ教訓』
日時: 2009年4月25日(土) 14: 00-17:00
会場: 東京大学農学部4号館104室

講師:
安藤元一(東京農業大学 農学部バイオセラピー学科 野生動物学研究室)

 第70回月例会は「ニホンカワウソ 絶滅に学ぶ教訓」のテーマの下、安藤先生の講演を聞こうと多くの参加者が集まった。
  「ニホンカワウソ」と聞いてパッとどんな動物か頭の中に浮かぶだろうか。もし、浮かんだとしたらそれは「コツメカワウソ」かもしれない。
「ニホンカワウソ」は江戸時代まで全国に普通にいたとされている。しかし1978年に死体を確認、1979年に最後に目撃されてから目撃されなくなり1980年代後半には足跡も見られなくなり、1990年代には絶滅してしまったと考えられている。「どこか人の目につかないところでひっそりと生息しているのではないか」と言われることもあるようだが、「ニホンカワウソ」の行動範囲は7〜10kuで活発に行動する。また、発情期は1年に1回、2〜3日しかなく、広い行動範囲内で他の個体に遭遇し繁殖するなど、少数個体で細々と生抜いくのは無理だろうと安藤先生はおっしゃっていた。
「ニホンカワウソ」は湿地に住む。1世紀前の日本はどこでもカワウソが住めるような湿地の国であった。しかし、この100年間で日本は急激に開発が進み、乾いた国になってしまった。水はけが悪いということは農作業中に人がぬかるみにはまったり、大雨や台風で人の死亡率は高くなる。農業の効率を上げるため、人間にとって安全で住みやすい場所を作ってしまったことは動物にとってどのような影響を与えてしまったのか。
  開国し明治に入ってから日本で毛皮の輸出が始まった。幕藩体制下で取り締っていた狩猟規則も消減し、「ニホンカワウソ」の乱獲が起こった。このカワウソ猟はそれぞれ縄張りをもち、数を考えながら狩る猟師ではない町の人たちが川沿いにワナを仕掛け狩っていた。その結果10〜15年で「ニホンカワウソ」は激減した。農薬が使用されるようになり、「ニホンカワウソ」は絶滅へまた1歩近づく。わけのわからないまま農薬を使用し、必要のない分は川に流していた。その農薬の影響を「ニホンカワウソ」は直に受けてしまったのだ。さらに道路建設が「ニホンカワウソ」が生息しにくいように追い討ちをかける。
  1950年代「ニホンカワウソ」の調査が愛知県で行なわれた。隣県である高知県には「ニホンカワウソ」はいないとされ、実際に調査が行なわれたのは1970年代に入ってからである。1965年、「ニホンカワウソ」は絶滅危惧種指定を受け、死体発見数がピークになった。人々の関心が高まった一方で、個体数は減っていった。もし、自治体間の交流があり行政間の情報公開がされ早期の調査などが行なわれ、もし複数個体保護できていたら「ニホンカワウソ」は絶滅を免れていたのかもしれない。絶滅の危機に瀕している野生動物だけでなく全ての野生動物にこの教訓は生かせるはずである。
  安藤先生は、「日本にはまだカワウソの住める場所はまだまだあるはず」とおっしゃっていた。ヨーロッパやアメリカではカワウソの再導入が始まっている。「ニホンカワウソ」が中国にいるカワウソと系統が同じならば、将来日本にカワウソが復帰することは可能である。しかし、そのためには「ニホンカワウソ」の分類的位置づけが絶対必要条件である。詳しい調査がされないまま絶滅してしまった「ニホンカワウソ」。もし、他の国で生息しているカワウソと系統が同じことがわかり再導入がなされるなら、日本の湿地で活発に行動する野生のカワウソを是非この目でみたいと思う。

(帝京科学大学大学院 アニマルサイエンス専攻 1年 藤田典子)



 
     
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